為政篇より

[超訳]論語 自分を磨く200の言葉

人を見極めるには、まず第一にその人の外面に表れた行動の善悪をよく視る。
ついでその人の動機は何であるかを注意して観る。
そして第三に、その人の着地点はどこかを察すれば、その人の真の性質がわかる。

言葉と行動を正し、よいことを聞いて疑わしいことは取り除き、間違いないと信じることだけ人に語るようにすれば、他人から咎められるようなことはない。
また善行を見て、確信がないことは取り除き、道義に従えば後悔することはない。


論語の端々で目に留まるキーワードは、『言葉を慎むこと』です。

“間違いないと信じることだけ人に語るようにする”ことは、心しておきたいと思います。

里仁篇より

[超訳]論語 自分を磨く200の言葉

人が過ちを犯すとき、その人がどのようなたぐいの人物であるかによって、失敗の仕方が違ってくる。
だから、その過ちを見れば、その人が仁者か不仁者(徳のない人)かを知ることができる。

立派な人は常に道徳を思い、心のできていない人は私利私欲だけを考えている。
自分の利益のみを考えて行動すると、人から恨みを受けることが多い。

賢くて徳のある人を見ると、自分もこの人のようにありたいと思い、愚かで徳のない人を見ると、自分もこの人のようではないかと恐れる。


仕事において、ミスが発生することは実際避けることができないことかもしれません。
特に、人とかかわりあって行う種類の仕事では。
ですから、それ自体はさして重要ではないと考えます。
それよりも、その後の姿勢がその人をよく表すな〜、と感じることがありました。

一番の問題は保身に走ることです。
いわゆる、人のせいにすること。
これには、哀れみすら感じてきます。

そんなときに目に留まった論語の中の言葉です。
確かに、『過ちを見ればその人がわかる』のです。

そして、私利私欲だけで動く人は愛されず、
そのような人を見たなら、自分もそうではないか?と省みることができるのです。

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ラリー・キングの名言 “ひとこと”より
ラリー・キング(1933〜)
【ブロードキャスター:アメリカ】

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毎朝、自分に言い聞かせていることがある。
自分が話すことから、自分が学ぶことは何一つないことを。
学ぶためには、絶対に相手の話を聞かなければならないのだと。


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このラリー・キングのひとことと、論語でピックアップしたことは教訓が異なりますが、『相手のいかなる言動からも学ぶことができる』と思ったので挙げました。
そして、話を聞くことは当然重要です。
私は苦手なので、努力しなければなりません♪

どうしたら「幸せ」になれますか?

ニッポン・サバイバル

現代社会では、快・不快が幸福の基準になりがちだと姜さんは言います。

おいしいものを食べるとか、海外にリゾートに行ったとか、晴れとか雨とかetc…。

また現代社会の特徴として、幸せの求め方が他者志向型になっていることもいえるでしょう。
現代社会は「ほかの人がどう思うだろうか?」とたえず他者の視線を気にし、みんなと同じような行動をとることを幸せと感じる社会です。

ところで、なぜこんなに“幸せ”ということに、みんながこだわるかといえば、未来が不確実だからです。

そのための安全装置としてあるのが、たとえばいい大学、いい就職、そしていい結婚です。
幸せとお金が直結している人は少なくありません。

でも、自分が外側に求めた安全策が機能しなくなったとき、さまざまなものを受け入れながら、人格形成の困難なプロセスをくぐり抜けてきた人と、そうでない人とでは、対応に自ずから違いが出てくるはずです。

それから、『快・不快に左右されない幸せを手に入れるには、自分がいろいろなものを受け入れていくという形で、人間のパーソナリティを少しずつ強くしていかなければならない』と述べています。

そして、政治学者の姜さん、

自分の幸せの条件だけ整えても、人は幸せにはなれません。
合コンでせっかくいい人と出会って結婚したとしても、どこかで戦争が起き、その影響でドルが暴落して、夫の会社が倒産してしまう。
そんなことだってあり得ます。

つまり私にいわせると、他者に関心を持たないで、自分の幸せを社会や世界と切り離して考えること自体が、じつはものすごく非現実的です。
世界と切り離された幸せなんてディズニーランドのようなものです。
一歩外に出れば否応なしに現実が待っています。

とおっしゃってます。

『自分の人格がいろいろなものを受け入れていくときには、社会や世界との関係がつねにそこでは問われている』という考え方はヨガの教えとも共通し、非常に納得でした。

今なぜ世界中で「紛争」が起こっているの?

ニッポン・サバイバル

今、世界で起こっている紛争の原因の多くが、宗教だと考えられていますよね。

でも私は違うと思います。
宗教は“結果”であって、現在起きている紛争の多くは、結局、“持てる者”と“持たざる者”の対立なのです。

あえてそうした“差異”を作ろうとする傾向が資本主義社会にはあります。
グローバル化が本来の意味で進めば、国境や民族の違いというものがなくなっていくはずなのですが、そうなってしまうと、資本は価値を作り出せなくなってしまうのです。
価値は“差異”によって作り出されるものなのです。

だから簡単には、差別というものはなくならないし、むしろそれを作ることで、あるシステムは保たれているといっていでしょう。

「あの国よりはマシだ」という差異を作ることで、過剰に国家意識や国民意識を高める。
そんなのは、まったくみみっちい、ケチなナショナリズムだと姜さんは言います。

資本主義を否定するつもりはないけれど、セーフティネットをはずした状態でのグローバル化がこのまま進んでいくと、他者蔑視の傾向はさらに強まり、紛争は激化するのではないかと危惧しています。

最後に、『大切なことは他者蔑視ではなく、他者理解を深めていくことです。』と結んでいます。

まずは身近なところからです。
ダライラマ14世の言葉に、

誰かと会って、自分のほうがこの人より少しましだな、と思うことがときどきあります。
そんなとき、私はその人のよいところを探します。
「私はもう頭が禿げている。
その点からいえば、この人のほうが私よりはるかにすばらしい!」

と、いうものがあります。

これは面白い考え方!と思って、私も努力してます。
人を見下すことって、醜いことですから。

大体において、女性なら「あの人の脚のほうが細い」だったりしますが。。。

けれどマザーテレサの、

どんな人にあっても、まずその人のなかにある、美しいものを見るようにしています。

この人のなかで、いちばん素晴らしいものはなんだろう?
そこから始めようとしております。

そうしますと、かならず美しいところが見つかって、そうすると私はその人を愛することができるようになって、それが愛のはじまりとなります。

これは、私には美しすぎますが。。

爆笑問題のニッポンの教養

FILE071:「ヒトと殺しと男と女」より〜

大学で教えている時に、生物学でこうやってゾウアザラシが一所懸命けんかしたりするのを見せていろいろしゃべると、時々ね、生き物は何でそんなに一生懸命生きているか分からないっていう質問をする子がいるんですよ。
で、私はすごい驚いたの。何を説明しようかというと、一生懸命生きてなかったら、いないのよと、ここには。生き物ってみんなそうやって一生懸命何かやって、で、子どもが残って、上の世代は死んじゃって、その子どもがまた一生懸命何かやって、だから一生懸命やっていないっていうのは、見ることが出来ないのよ。
で、それでもしあなたが一生懸命生きなくてもいられて、人から一生懸命やっていない人がここにいるっていうのが見られるとしたら、それは随分不思議なことで、生き物としては。
それは誰か別の人が、あなたがそうやって一生懸命やらなくても生きていけるように支えてくれているからなのよっていうのだけを言うんです。


この部分はとても印象的で、HPでもピックアップされていたから重要な部分だったんでしょうね。

一生懸命でなくても生きていられる。
そういった人生は長い長〜い時間の経過のみに意味を持つのでしょうか。
なかなか大変そうです。

この話を知り合いにしたら、「ひきこもってる人に聞かせたい」と言われたんだけど、ひきこもってる人が一生懸命じゃないわけではない。
ただ、一生懸命になれる何かが見出せない状況というのはもったいないですよね。
当事者本人が一番そう感じてるし、大変なんだとは思いますが。。

heart

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